2003年12月23日 3種目アスリーティング   お菊松

お菊髪結いの松
豊臣秀次の妾であったお菊は、紀州名草郡山口村の代官・山口喜内の嫡男、兵内に嫁いだが、新婚5日後、兵内は大坂夏の陣で大坂城に馳せ参じた。
徳川方の紀州領主浅野長成の大軍が和歌山から進攻する情勢を密書に託し、お菊は夫の後を追い大坂城へと向かいました。街道を避け、山道を踏み分け、風吹峠を越え、泉南市の堀河谷(ほりごだに)あたりから松の大木がそびえる納経山に辿り着いたころ、お菊は自らの髪を切って男装し、その髪をかたわらの松のところに埋めたと伝えられる。

・・・というような伝説のあるお菊松。6年前に行こうと思い、結局いけなかったお菊松に、今日ようやくたどり着く事が出来ました。

ところで、どれがお菊の松?石碑があるだけで、松は見当たりません。というわけで、家に帰ってからネットで調べてみたところ、こんな事実が!

現在は枯れて無くなってしまい、記念の石碑が残されるのみとなっています。」

なるへそ。そういうオチですか。 松と名前がついてるくらいなので、てっきり立派な松の木でもあるのかと思っていました。

お菊松にある石碑その1。 お菊松にある石碑その2。
食べかけの蜜柑のお供えがあった。


とりあえずお賽銭をし、ユタッチとしばしこの場で休憩することにします(実はこのとき、ずっと辺りで人の話し声が聞こえてた。他の登山客?と思ったが、だーれも歩いてる様子は無い・・・)。

我々は右の市民の里方面からきました。

さて、ここまで来るだけでも数十分を費やしました。入り口で待っている黒木兄弟(弟)が心配するといけませんので、そろそろ引き返す事にします。行きはよいよい帰りは怖いといいますが、我々としてはその逆であります。次は府民の里へ降りて、キャッチボールだ!!

 
お菊松からみえた泉州の町並み。


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